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2026.05.08
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『パリに咲くエトワール』特別コラム
【『パリに咲くエトワール』特別コラム】
執筆:藤津亮太(オフィシャルライター)
リアリティとファンタジーという、絶妙なバランスで拮抗する2つのベクトルがある。それがアニメーター近藤勝也の描くキャラクターの魅力だ。作品ごとに、そのバランスは異なるが、この2面性が近藤のキャラクターを特徴づけている。
スタジオジブリ作品の印象が強い近藤が、『パリに咲くエトワール』にキャラクター原案として参加を決めたのは、プロデューサーの熱心なアプローチがあってのことだった。

現在公開中の『パリに咲くエトワール』は、1910年代に、パリでそれぞれの夢を追うフジコと千鶴というふたりの少女を描いた作品だ。この設定のとおり「20世紀初頭にパリで夢を追う」というまさに「夢物語」と、第一次世界大戦が始まりベル・エポックが終焉するという「リアルな時代の変化」が、この作品を特徴づけている。またふたりの「夢物語」を詳しく見ると、そこには「こうあってほしいこと=ファンタジー」と「現実の枷=リアリティ」が含まれている。
このファンタジーとリアリティの対照は演出にもみられる。本作には、芸術のインスピレーションを象徴する“妖精”が登場するイメージシーン(ここの原画は近藤が担当している)と、俯瞰のカメラアングルを使って主人公たちを客観的に見据えるカットが共存している。

この相反する要素が、ひとつの作品で見事に融合している理由のひとつは、まちがいなく近藤のキャラクターの存在にある。近藤のキャラクターは、現実のパリの風景の中にいても違和感のないリアリティを持っている。そして同時に、キャラクターは、思いの強さで現実を突破してしまうであろうことを観客に期待させるだけの“華”を持っている。近藤のキャラクターのこの2面性が作品世界成立の要となっているのである。
そういえば振り返ってみると、初めてキャラクターデザインを担当した『魔女の宅急便』の時点で、既に近藤のキャラクターは、「魔女の修行」というファンタジーと、「少女の自我の確立」というリアリティあるドラマを融合させていたのである。